1186年兄の頼朝に追われた源義経一行が奥州落ちの際、京都を北上し新潟県を海岸伝いに馬を
走らせ、村上市の馬下(まおろし)で馬を降りました。そこから先「笹川流れ」は断崖の為、陸路を
断念し、地元の漁師の薦めもあって海路を選び、山形県の鼠ヶ関(ねずがせき)に上陸しました。
白河関、勿来関と並ぶ奥州三大古関の一つ鼠ヶ関には1,300年前から関所が設けられていて、
念珠関として越後と出羽の国境として重要な役割を果たして来ました。
この念珠関が義経の「勧進帳」の舞台となったと言われています。「勧進帳」と言うと、一般的には
加賀国(現在の石川県)の安宅関が舞台になったと言われています。真偽の程は解りませんが、
源義経伝説が残る新潟県の村上市には、所々このような義経に所縁のある土地が存在しています。
この念珠関所の跡が今でも残されています。現在では、昭和43年に関所門が復元され、石碑が建て
られているのみとなっています。
「勧進帳の本家」と言う立看板があり、説明看板が立てられています。
「勧進帳」の話は、頼朝に追われた義経一行が、関所を通る際、関守に疑いをかけられ、東大寺
再建の為の勧進帳をまったく別の巻物をあたかも本物の様に弁慶が読み、それでも疑いが晴れない
ので、弁慶が義経を金剛杖で叩き、遂に関守の疑いを晴らしたと言う話です。(簡単に言うと)
こんな関所跡が、国道7号線の道路脇の海の見える場所に残されています。義経の奥州落ちの
経路は諸説ありますが、真偽の程は別として、鼠ヶ関はロマンを感じる土地となっています。
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