関川村の渡邉邸の屋敷敷地内には、米蔵・味噌蔵・金蔵・宝蔵・新土蔵・裏土蔵等
の多くの土蔵があります。ともに火災はもちろん盗難にも備えた造りにしてあります。
柱の間隔をせばめ、厚板・鉄枝を使用し、下方の広がった造りで生子壁に仕上げる
などいろいろと配慮されている点が注目されます。
味噌蔵です。大きな味噌の樽が、当時はもっとあったのでしょうね。
金蔵ですが、当時は大判小判がザクザク?あったのでしょうか?
こちらは米蔵です。現在は米は収納されていませんので、昔の米作の道具が置いて
ありました。
渡邉家は初代は村上藩主の郡奉行として仕え、その後廻船問屋、酒造業等を営み
、財政困難な米沢藩などに金を貸したりしたそうです。
全盛期には七十五人の使用人、一千ヘクタール(約一千町歩)の山林を経営、七百
ヘクタール(約七百町歩)の水田から一万俵の小作米を収納したと伝えられています。
昭和42年8月28日に関川村の荒川流域が大きな水害に見舞われました。これを
「羽越水害」と呼んでいますが、渡邉邸もこの時大きな被害を受けてしまいました。
画像は当時の水位ですが、1m50cm位もあったでしょうか?
渡邉邸~その4に続く・・・
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