笹川流れの旧トンネル

1186年に兄の頼朝に追われた源義経一行は、京都を北上し、越後路を海岸

づたいに馬を進めました。村上市の馬下(まおろし)で、馬を下りた義経一行は

そこから先の「笹川流れ」は断崖の為、道も無く、陸路を諦め地元の漁師の薦め

で海路を選び、山形県の鼠ヶ関に上陸しました。

この様に「笹川流れ」の海岸は、花崗岩の岩山が連なる断崖絶壁で、道も無く

陸の孤島となる難所でした。山形県の庄内方面に抜けるには、山越えをするか、

船を使うしか方法がありませんでした。

いつ頃か、手掘りで岩山にトンネルを掘り、やっと人が一人通り抜けられる道が

造られました。その後、自動車の普及により、車が通れる様にトンネルが拡張

されました。

笹川流れの旧トンネル~今川地区

これがそのトンネルですが、現在の国道345号線が改修され道路幅を拡張され

た後に廃止されました。現在危険ですので、中に入る事は出来ません。

笹川流れの旧トンネル~今川地区

笹川流れにはこの様なトンネルが、数か所残されています。

笹川流れの旧トンネル~今川地区

この様に入口付近は木材で補強されています。昔の人は岩山を手掘りで良く

掘ったな~と思います。

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笹川流れの春~その3番外編

笹川流れ周辺は40年位前までは、道路の整備は未だ進んで
おらず自動車の通り抜けはできませんでした。人々は人が
徒歩でやっと通り抜けできるトンネルを通るか、小船を
使うか、鉄道を使うか(羽越本線は大正に開通)しか隣の
集落へ行く手段はありませんでした。

笹川流れのトンネル

上の写真は、眼鏡岩海岸付近にある「旧トンネル」です。
これでも少し幅が拡張されていて、それ以前は人が一人
やっと通り抜けできるトンネルだったそうです。現在は
立入禁止になっています。

ガードレール

現在は道路が整備され交通の不便さがなくなりました。
現在使われていない古いガードレールが錆びています。
このガードレールの下はガケです。

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